ホールの中俯瞰.JPG

眼で読むだけでなく

声に出して表現する歓びを

軽井沢朗読館について

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このところ朗読ブームだと言われています。

でも朗読はもともと、昔から日本語の中に生きていました。

平安、室町の時代はいうまでもなく、新橋から横浜まで初めて汽車が通ったときも

車内で大きな声を出して新聞を読む声があちこちから聞こえ、列車の中はうるさかったそうです。

家のなかでお父さんが新聞を家族に読んで聞かせていたということが暮らしの中にあったのでしょう。

ブームは今に始まったことではありません。

日本語は音そのものの響きが単語のニュアンスをそのまま現していることが多いので音読にはとても向いている言語だといえます。

お風呂のなかで歌う人は沢山いますが、いちど朗読して見て下さい。自分の発した言葉の美しさにほれぼれするに違いありません。

そこで、そんな美しい日本語の響きを楽しみたい、朗読の楽しさを一人でも多くの人にわかってもらい、

分かち合いたいという思いから、朗読館ができあがりました。

たくさんのすばらしい作家の作品に私たちは恵まれていますが、眼で読むだけでなく声に出して表現する歓びを、

ともに味わっていきたいと思うのです。

朗読はするもよし聞くもよし、そんな人たちが集う小さなスポットがあってほしいという願いが実現しました。

朗読館設立の理由・経緯

2010年6月30日に私、青木裕子は定年退職になりました。
退職後は東京の自宅に電話ボックスぐらいの小さな録音室を作って、大好きな宮澤賢治や樋口一葉や林芙美子や、もう沢山のすばらしい作家の作品をコツコツ録音して音声のライブラリーを作っていきたいという夢を持っていました。
そしてその夢を周りの人達にどんどんおしゃべりもしていました。
2007年の夏のある日、軽井沢の以前取材でお世話になった方から突然電話がかかってきました。
「青木さん、軽井沢に来ませんか」
「でも私、定年後は録音室を自宅に作ってそこで文芸作品の音声ライブラリーを作っていこうと思っているので、ちょっと・・・」
「では、軽井沢に録音室をつくればいいのではないですか」
という会話から、あれよあれよという間に録音室だけではなく小さいホールも出来る、という話になって行ったのです。
資金不足なので立派なものは出来ないだろうし、総て節約なのだから、
いっそ自分でホールを設計しようかと発言して周りをはらはらさせていましたら
とても尊敬する画家の(友人でもある)エムナマエさんが
「ホールなら深尾に頼んだらいい」と首都大学東京の深尾精一教授に声をかけてくれました。
深尾先生はエムナマエさんの小学校中学校の親友です。
深尾先生がアドバイザーとして参加するという ホールにとっては奇跡のような幸運に恵まれました。
深尾先生を中心として、佐久に本社のある竹花工業の小林秀司さん
棟梁の中澤亮二さん、電気屋さんの中澤正治さんという
きわめて優秀な仕事師たちが集って、低予算でなんとか日本で初めての朗読用のホールを最高のホールにしてやろうという
気概に燃えて、来る日も来る日も予算を忘れて熱中して下さったのです。
そんなところにはまた日本で有数の音響関係、スタジオ制作のプロフェッショナルが覗きにくるもので、彼らもまた仕事師達の熱意にほだされていつのまにかホール作りに参加しているという、夢のような楽しい日々が展開しました。
出来た建物は確かに高価な建材を使っているわけではありませんが
まさに自然の恵み、自然の木々を使って、最高の腕と智恵を結集したすばらしい朗読空間、音響空間になっています。
またデザインも一度身を置いたら忘れられない、もう一度必ず訪れたくなる本物のホールの品格をたたえています。
2010年5月1日から5日までの杮落としの週を迎え、とにかくスタート、これからは
生れたばかりのヒヨコのような朗読館をゆっくり大事に育てていきたいと思っています。